社会福祉法人飛騨慈光会

  • 理念
  • 概要・組織図・配置図
  • 飛騨慈光会のあゆみ
  • 第五期中長期計画
  • 役員紹介

飛騨慈光会のあゆみ (2013年9月版)

1 養護施設‘飛騨慈光園’の開設と、社会福祉法人「飛騨慈光会」の発足

 1953年(昭和28年)2月、高山市仏教会は、戦災孤児などを中心とした児童のための「養護施設」設立の発願者となり幅広い施設開設運動を展開しました。その運動が実り1955年(昭和30年)6月「養護施設飛騨慈光園(現夕陽ヶ丘)」が開設されました。
 社会福祉法人「飛騨慈光会」は、この養護施設飛騨慈光園の運営母体となるべく設立され、施設開園から遅れること1年、1956年(昭和31年)9月に社会福祉法人として正式に認可されました。

2 山ゆり学園の開設と障がい児者福祉への取り組みの始まり

 飛騨地域に知的な障がいを持った子どもたちの利用する施設の無かった時代、飛騨で生まれた障がいを持つ子どもたちは遠く離れた美濃地域の施設を利用せざるを得ませんでした。飛騨にも知的な障害を持った子どもたちの施設が欲しいという当時の飛騨地域の母親の願いを受け、高山市の婦人団体「山ゆり会(林フジ会長)」が中心となり1960年(昭和35年)より施設建設運動が展開されます。(この時に婦人会の皆さんが街頭募金で使われた募金箱は、当時の運動の熱い願いのこもった貴重な資料として、今も保存されています。)

募金箱

 その運動が飛騨慈光会に引き継がれ、3年後の1967年(昭和42年)12月、飛騨地域初の「精神薄弱児施設山ゆり学園(現福祉型障害児入所施設山ゆり学園)が開園しました。これが飛騨慈光会の障がい者福祉への取り組みのスタートであり、その後、当時の山ゆり学園長四衢廉により提唱された「飛騨福祉圏構想」の原点となります。

3 地域に根ざした障がい者福祉を進める飛騨慈光会

‘「飛騨福祉圏構想」という理念とその発想’

 飛騨慈光会は、1983年(昭和58年)、国際障害者年を契機としたノーマライゼーションの潮流を根底に、飛騨を一つの福祉エリアとしてとらえ、そのエリア内で施設を適正配置(ブランチシステム)しつつ地域福祉を推進していくという「飛騨福祉圏構想」を打ち出しました。その発想は、以下のような願いと課題の中から生まれ、飛騨地域の障がい者と保護者の皆さんの熱い思いとともに進められることになります。

(1)子どもはやがて大人になる
 障がいを持った子どももやがては大人になります。でも飛騨地域には児童施設の山ゆり学園しかなく、施設利用を継続するには飛騨を離れるよりほかありませんでした。大人になっても飛騨で暮らしたい、障がいがあるからこそなおさら自分の慣れ親しんだ地域で暮らしたい。そんな障がい者の皆さんの素朴な願いが、「飛騨福祉圏構想」発想の端緒となっています。

(2)地元で暮らす
 子どもたち、障がいを持った人たちが安心して暮らせるところ、それはまず生まれ育った場所であると考えます。飛騨地域内の身近なところに「あんきに利用でき、安心して通える」、そんな施設づくりを目指すことも「飛騨福祉圏構想」の基本理念の一つでした。

(3)飛騨という特殊な地理的条件を克服する
 ‘飛騨は一つ!’この言葉に象徴されるように、古来より飛騨の人々の心の中には、独特な地理的条件のもとに育まれた強い仲間意識があります。それは助け合いの心となって飛騨人の心に脈々と引き継がれています。しかし飛騨は広い。高山市のみに施設が集中していたのでは、同じ飛騨でありながら施設利用に地域格差が出てしまいます。「飛騨福祉圏構想」は、施設を高山に集中させるのではなく、飛騨を三つのエリア(高山市と旧大野郡・下呂市(旧益田郡)・飛騨市(旧吉城郡))に分け、高山市を中心としながらそれぞれのエリアに適正に施設配置することを理念とし、その実現に向けて取り組みが進められました。

4 「飛騨福祉圏構想」による施設適正配置の完了

 飛騨慈光会は、飛騨地域内の施設適正配置をめざし、1986年(昭和61年)に益田山ゆり園を、1991年(平成3年)には吉城山ゆり園を、1997年(平成9年)には大野山ゆり園を開園し、飛騨3エリアへの施設配置を実現させました。それらの施設づくりにおいて重視してきた施設の小舎化、居室の個室化なども、利用者個人の暮らしを重視する飛騨福祉圏構想の理念に基づいているものです。
 その後2001年(平成13年)に飛騨地域初の身障療護施設飛騨うりす苑を開園させたことで、障がい者福祉の拠点施設は6か所となり、飛騨地域の障がいを持つ人々の施設利用による暮らしの拡充は大きく広がりました。さらに2002年(平成14年)には老朽化した山ゆり学園を全面改築し、2006年(平成18年)には基準の古い児童養護施設夕陽ヶ丘の大規模修繕を行いました。これらの施設整備により「飛騨福祉圏構想」による施設適正配置と暮らしの場拡充の取り組みは一応の完成を見ました。

5 現代社会の病理が反映される児童問題とその取り組み  母子生活支援施設清和寮の運営開始

 飛騨慈光会は、1996年(平成8年)、高山市から「母子生活支援施設(旧母子寮)清和寮」の経営を移管され、その運営を開始しています。母子生活支援施設は児童福祉法に規定される施設で、法律上は‘児童福祉施設’です。飛騨慈光会では、児童養護施設夕陽ヶ丘と母子生活支援施設清和寮、そして障害児入所施設山ゆり学園、の3つの児童施設で、児童養護問題・母子問題・障がい児童問題のあらゆるケースに精力的に取り組んでいます。
 近年、児童に関わる多くの問題が社会の病理の反映として浮かび上がっています。夕陽ヶ丘(児童養護施設)の本来の役割は、養護を必要とする子どもを保護し自立を支援することです。昭和の時代は、何らかの事情で親がいない、親がいても病弱で育てることが出来ないなどの理由で入所してくる子どもたちがほとんどでした。しかし、平成に入ってからは、親のない子の入所はほとんど無く、両親または片親が存在する子どもが多く入所するようになりました。そして入所の理由に「虐待」が多くを占めるようになってきたのです。虐待や暴力は、子どもの心と体に大きな傷を残し、そして連鎖を生みます。飛騨慈光会の職員は、昼夜を問わず子どもたちに愛情を注ぎ、子どもたちの心を解きほぐし、子どもたちの健全な発達と成長を願って日々の職務に当たっています。
 一方、母子生活支援施設も、現代社会の歪みから生じる様々な家庭問題に対応しています。核家族化や家庭の崩壊など、家庭・家族のあり方が大きく変化し、夫婦・親子の関係性が多様化、複雑化しています。特に夫婦関係の崩壊により夫などから暴力を受ける被害(DV)が急増しており、清和寮を利用する母子もその被害者であるケースが増えています。清和寮の利用者、とりわけDVの被害者は遠方から緊急的に避難してくることが多く、この地域ばかりでなく全国的な要求にも応えているという現実があります。また、障がいのある母子、外国籍の母子も支援を求めて入所となっています。母子生活支援施設は、安心して生活できる場所が必要な母子のために無くてはならない社会福祉施設であり、子育てのみならず、生活全般の支援、就労支援、法的な支援など多様で緻密な支援とともに安全の確保が現在の母子生活支援施設には求められています。 
 このような虐待やDVなどの社会問題は、都会で起こる事、特別な事、ではなくなり、現実にこの飛騨地域でも同様のケースが当たり前のように発生しています。飛騨慈光会の児童施設は、これらの問題から逃げることなく正面から取り組み、地域の児童問題・一人親世帯問題等に積極的に対応する拠点として地域の中で機能しています。

6 法人の組織改革と経営基盤の強化

 飛騨慈光会は、「飛騨福祉圏構想」による施設拠点の構築完了により、障がい者問題の重点を施設建設(ハード整備)から取り組みの中身(ソフトの充実)にシフトしてきました。時を同じくし、社会福祉基礎構造改革を端緒とした国の制度改革により、福祉の制度は激変の時代に入っていきます。特に障がい者福祉は度重なる制度改変に翻弄され、障がい当事者も福祉事業者も激変する制度への迅速な対応が求められる厳しい時代となりました。飛騨慈光会は2006年(平成18年)より、激変する福祉施策に対応するため、①労務制度、法人組織の改革、経営基盤の確立 ②相談支援事業の展開(三障がいに対応)③就労支援の強化 の三つの柱からなる組織改革を推し進め、制度の改変に惑わされず利用者とともに一途に事業を推進していける法人となるべく、組織の強化に取り組みました。

7 地域支援、地域ネットワークの強化 「ぷりずむ」の立ち上げ

 社会福祉基礎構造改革以降の日本の福祉は「施設から地域へ」という考え方が主流となり、飛騨慈光会も1996年(平成8年)に‘山ゆり地域生活支援センター’を開設するなど地域支援への取り組みを強化していきます。当然、それまでの施設整備の過程でも、グループホーム、在宅支援、就労支援などには積極的に取り組んできました。しかしそれらは、いくつもの制度や施設ごとに分断された縦割りの支援となっていたことは否めませんでした。
 飛騨慈光会が2012年(平成24年)に立ち上げた「ひだ障がい者総合支援センターぷりずむ」は、飛騨慈光会の中でも分散して取り組んでいた在宅支援・相談支援・就労支援・グループホーム支援などの支援拠点を一つにまとめた多機能型の総合支援センターとしてスタートしました。地域支援に関わる様々な事業を一つの拠点で取り組むことで、一人一人に必要な支援をその人に合わせた一連の流れの中で取り組んでいく体制が整うこととなり、子どもから大人まであらゆる障がいのあらゆるニーズに対して何らかの解決策を見出す‘支援のワンストップサービス’を実現させました。
 地域のぷりずむへの期待は大きなものがあります。飛騨慈光会は、今後も「地域支援・地域ネットワークの強化」に大きな力を注ぎ、働く障がい者、働きたい障がい者、在宅でがんばる障がい者、自立したい障がい者の皆さんの支援に積極的に取り組んでいきます。

8 老朽化した高山山ゆり園と清和寮の全面改築に向けた取り組み

 飛騨慈光会が2012年に策定した第5期中長期計画には、飛騨慈光会が地域の中核的・基幹的事業者としてしっかり責任を果たしていける法人となることを重点事業として5つのポイントが明記されています。(別コンテンツ参照)その中でも困難な課題の一つである「老朽化した施設の改築と新たな暮らしの場の創造」について2013年度より取り組みを強化しています。この老朽化した施設とは、「高山山ゆり園」と「清和寮」です。この二つの施設は、現在の利用者の要求に応えることが困難な古い基準の老朽化した建物で、耐震基準にも不安が残るなど、全面改築はもはや待ったなしの課題となっています。これらの施設の老朽化と改築の問題については、2011年より行政などの有識者も含めた建設検討委員会等を設けて、それぞれの施設の在り方について検討がすすめられてきました。両施設ともこの地域に必要な施設であるとの認識のもとに、計画はより具体的な段階に入っています。飛騨慈光会第5期中長期計画では、5年以内をめど(2017年ごろまで)に両施設の全面改築を完成させたい計画ですが、建設用地の選定や建設資金の確保など困難な課題が多く、実現のためには地域の行政をはじめ市民の皆様の温かいご理解と大きなご協力が必要となっています。

9 会員制度の導入と後援会の発足

 飛騨慈光会は、1967年(昭和42年)の山ゆり学園開設を機に、飛騨慈光会の取り組みを広く市民の皆さんに知っていただき支援を求めていくために会員制度を導入しました。その後、新たな施設建設運動のたびに会員を拡大し、事業運営の最大の財政的土台となってきました。そして2006年(平成18年)8月、地域の協力体制を結束し飛騨慈光会への支援を一層強化するために、法人とは独立した組織として「飛騨慈光会後援会」が発足しました。
 飛騨慈光会後援会は、地域の人々が運営委員となって、それまでの会員制度が果たした役割を継承し、さらなる発展を目指して活動しており、飛騨慈光会の事業を物心両面で支えています。後援会は、現在飛騨地域を中心に現在およそ1万5千の個人・法人会員を有し、社会福祉法人を支援する後援会としては全国でも屈指の大きな組織となっています。
 現在飛騨慈光会後援会では、飛騨慈光会の計画している高山山ゆり園と清和寮の全面改築に向けて建設費用等の財政支援を強化すべく会員増強に取り組んでいます。あなたもぜひ飛騨慈光会後援会の会員となって飛騨慈光会をサポートしてください。
(飛騨慈光会後援会のホームページもご覧ください。http://www.hida-jikoukai.or.jp/kouenkai/

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